カンボジア東部・クラチエ県の村に小学校を建設・寄贈した石井さん(元旅とぴあ北海道理事)が、その贈呈式に出席するに伴い、インドシナ3国をめぐるツアーを企画した。
3/1~6の旅は、アンコールワットと地雷の被害やポルポト時代の大虐殺の歴史を辿った後、新築された学校の贈呈式に参加した。
34~37℃の暑さの中で式は行われ、カンボジアの教育長官や県知事などが謝辞を述べられたが、石井さんのご両親が遺したものを学校建設に役立てたことに、えらく感動していた。
98人が通うこの学校は、2教室の校舎棟でトイレは別棟。トイレは井戸水での水洗で、この辺の村一番の清潔なトイレかも?。カンボジアでは、まだまだ貧困層が多く、授業料は無料でも制服や文房具等を買うことができなかったり、生活苦のため中途退学し、働く子どもらが多いとのこと。このような政治の貧困は、世界ではまだまだはびこり、教育の不平等に改めて腹立たしさを覚えた。
ラオスでは、街自体が世界遺産のメコン川に面した緑豊かな古都、ルアンプラバーンに滞在。ここでのハイライトは早朝の托鉢を見ることだった。日の出とともに寺ごとのお坊さんが列をなし、市民から炊きたてのモチ米やお布施などを器に入れてもらうようだが、よくよく見ていると段ボールや大きな袋をもった子どもたちがお坊さんから逆托鉢をしてもらっていた。聞いてみると、観光客からの供物が多くなり、その分を貧困層へ分け与えているとのこと。見えないところで廃棄するよりはましだが、托鉢の文化も観光の経済効果と引き換えに失いつつあるのを垣間見た気がする。
ルアンプラバーンは、他のアジアの国々からみると、人々も街全体も物静かで清潔感があり、こ洒落たレストランやホテルが多いようだ。私たちが泊まったホテルも、初代ラオス首相の住居をコロニアル様式を取り入れたものに改築し、快適・清潔感があった。
食事は道を挟んだ向かいのメコン川が望める位置にカフェテラスがあり、そこで飲んだビア・ラァオは格別のものだった。機会があれば次回はラオスの他の街もバックパッカーで回ってみたいと思った。二泊後、ベトナム・ハノイに飛び、その日の夜行寝台で中国国境の町ラオカイまで移動、翌朝5時過ぎに到着。ライステラスで有名なサパの村から、赤モン族の23歳の女性ガイドさんが駅まで迎えに出ていた。朝食をとり、その足で少数民族の村を訪ね歩くツアーがはじまった。私が十数年前にこの地に来たときは、ちゃんとしたトレッキングツアーだったが、車社会の影響か、この度は山道を歩くことなく車に揺られて、隣村に到着。ここは漢方の発祥の地ということで、私たちは山の中で簡易な風呂場に案内され、薬湯に癒される時間が持てた。 長湯をするとヤク浸になった感覚になるといわれ、20分ほどで上ったが、標高の高いところで冷えたからだはいつまでも温まって、幸せ気分で満たされた。
山岳民族の生活は農業の合間に、暗い土間で薪を焚きながら観光土産用の小物作りに精を出す女たちが多い。先進国からの観光客のほとんどはその民芸品を1$、2$のところで値切り、双方とも粘り勝ちするまで交渉を続ける(私も)。このやりとりで月収は幾ばくなのか。この山岳地に政府は電気を供給し始め、住民の負担は使用した半額とのこと、今もローソク生活を続けているため年間に1$くらいしか使わないと言っていた。その中で携帯電話が利用されていたことに、私の頭は混乱した。山の奥の奥まで観光化され、わずか十数年で村が村でなくなってきている現状。またいつの日か再訪した時には、もう別の世界になっているのかと思うと、寂しい思いがした。アジアの話になると、この紙面では語りつくせないので、詐欺にあったことやおいしいモノの話などは、いつか機会を見て報告することにしよう。(kei)
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